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日本フランス語学会第311回例会

日時:2016年12月10日(土) 15:00-18:00
会場:早稲田大学文学学術院 (戸山キャンパス) 33号館低層棟6階第11会議室
※いつもの会場と異なりますのでご注意ください。

(1) 小川 彩子 (関西学院大学大学院)
「<強勢形人称代名詞+関係節>型感嘆文についての一考察」

(2) 渡邊 淳也 (筑波大学)
「フランス語および西ロマンス諸語における「行く」型移動動詞の文法化について」

司会: 守田 貴弘 (東洋大学)

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(1) 小川 彩子(関西学院大学大学院)「<強勢形人称代名詞+関係節>型感嘆文についての一考察」

 関係節には一般的に、制限的関係節、同格的関係節および擬似関係節の三種類がある。朝倉(2011)は制限的関係節および同格的関係節について、「制限的関係節は、先行詞の表わす人・物を同種の他の人・物と区別してそれに限定を加え、文意に不可欠なもの。これに反し、同格的関係節は、先行詞に付随的観念を添えるにすぎないから、これを省略することができる」と述べている。また、古川(1992)は、擬似関係節について「擬似関係節であることの確認は、制限的関係節と異なり、先行詞のみで指示的自立性をもち、また同格的関係節と異なり、先行詞と関係節の間にコンマを入れることができないという基準によって行うことができる」と説明する。
 上記の定義にしたがうと、次の(1)-(3)はどの関係節に該当するだろうか。

(1) Moi qui vous parle, j’ai vu Napoléon une fois, à Chartres. (Zola, E. La Terre)
(2) (ポリーヌは慈善活動として、恵まれない子供たちのためにキナワインを作っている。ある少女の父親がそのワインを飲んでしまったと聞き)
Moi qui prends la peine de le fabriquer ! disait Pauline.( Zola, E. La joie de vivre)
(3)(娘が母親を起こす場面)
Maman ! Maman ! il est tard. Toi qui as une course... (Zola, E. Germinal)

 (1)-(3)はすべて<強勢形人称代名詞+関係節>型の文である。朝倉(2011)は、「人称代名詞のように特定のものを表わすときは、関係節は一般的に同格的」と述べていることから、(1)-(3)はすべて同格的関係節であるように思える。しかし、関係節が主節の主語の同格として機能している(1)とは異なり、(2),(3)から関係節を省くと主節がなくなってしまうことから、(2)と(3)を同格的関係節であると判断することは妥当ではない。(2)と(3)は、上に述べた古川(1992)による擬似関係節の判断基準をみたすことから、擬似関係節であると推測される。また、(2)と(3)のような<強勢形人称代名詞+関係節>型の文は感嘆文として用いられることが多いように思える。
 本発表では、まず(2)と(3)のような<強勢形人称代名詞+関係節>型の文が擬似関係節を用いた表現であることを示し、次に<強勢形人称代名詞+擬似関係節>が感嘆文となる仕組みを明らかにすることをめざす(なお、(2)と(3)を感嘆文に分類する理由についても言及する)。

(2) 渡邊淳也 (筑波大学)「フランス語および西ロマンス諸語における「行く」型移動動詞の文法化について」

 フランス語および西ロマンス諸語における「行く」型移動動詞 (verbe de déplacement de type itif ou andatif) の文法化について論ずる。文法化とは、ここでは主に(準)助動詞化が問題になる。以下に挙げるような諸事例を扱う。
 1/ 迂言的未来形 (futur périphrastique)
 <「行く」型移動動詞+不定法>で未来の事態をあらわす迂言的未来形は、移動動詞が事態の実現にむかう漸進をあらわすことから、発話時点からの連続性においてとらえるような未来の事態を標示する。それに対し、単純未来形は、発話時点から断絶した事態を標示する。
(1) Maintenant qu'il a fini ses études, il { va retourner / *retournera } au Japon. (Franckel 1984 : 67)
(2) Un jour, je { ?? vais t'expliquer / t'expliquerai }. (Leeman-Bouix 2002 : 162)
 2/ 迂言的過去形 (prérérit périphrastique)
 カタルーニャ語やガリシア語には、<「行く」型移動動詞+不定法>で過去を指示する用法がある。
(3) [カタルーニャ語] Ahir vaig dormir tota la tarda. (Bres et Labeau 2013 : 302)
   きのう、わたしは午後ずっと寝ていた。
(4) [ガリシア語] Onte vou ir á feira e atopeime con Xurxo. (Pérez Bouza 2007 : 831)
   きのう、わたしは市場にゆき、シュルショに会った。
 Hagège (1993) はこの用法を、迂言的未来形のmoving-ego metaphorとは反対のmoving-ego metaphorによるとしているが、誤りである。実際には、物語や歴史叙述の現段階から、つぎなる事態への移行をあらわす用法を母胎とし、そこから<「行く」型移動動詞+不定法>のみが独立した用法である。
 3/ 異常なふるまい (allure extraordinaire)
 Damourette et Pichon (1911-1936 : §.2604) によって命名された用法である。
(5) Oui, une voiture toute neuve. Et ce connard est allé m'emboutir une aile ! (Larreya 2005 : 351)
 この事例にも漸進性がみとめられ、直線的時間によって不可避的に、後続不定法であらわされる行為へとむかってゆくことを「aller+不定法」があらわしている。あたかも、異常とみなされる行動をとる主体が、そうした不可避性につき動かされているかのごとき意味効果が出る。また、「行く」型移動動詞が直示の中心から遠ざかる「遠心性」を基本的性格とすることから、マイナス評価が出てくるものと考える。先行研究ではこの用法と同一視されていなかったつぎのような例も、その点では同様である。
(6) Les habitants de Paris sont d'une curiosité qui va jusqu'à l'extravagance. (Montesquieu, Lettres persanes)
 このほか、4/ 特徴づけ (caractérisation) をあらわす用法や、5/ 間投詞化などの事例も同様の考えかたで論ずる。
 結論として、文法化した事例は、全般的に、「行く」型移動動詞があらわす移動の概念から出発して、「着点の標示」、「不可避性」、「遠心性」などをかぎとしながら、ある種の仮構的移動としてとらえることができる。

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