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日本フランス語学会第302回例会

日時: 2015年10月17日(土) 15:00-18:00
会場: 早稲田大学文学学術院 (戸山キャンパス) 33号館低層棟6階第11会議室
[※通常の会議室と異なりますのでご注意ください。]

(1) プヨ・バティスト (筑波大学大学院)
「フランス語の動詞慣用句の意味的固定性における単数形/複数形の役割について」

(2) 三浦 龍介 (青山学院大学大学院)
「熟語plus ou moinsと程度副詞「多少」の否定的評価をめぐって」

司会: 酒井 智宏 (早稲田大学)
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(1) プヨ・バティスト (筑波大学大学院)「フランス語の動詞慣用句の意味的固定性における単数形/複数形の役割について」

従来、先行研究においては、動詞慣用句の固定性の説明は、語源学者や文体論学者の範疇のものとして限定され、従って、動詞慣用句に関する言語学的な分析はほとんどなされてこなかった。その結果、個々の動詞慣用句には単数形/複数形の使い分けがあるにもかかわらず、その使い分けの規則性は明らかにされてこなかった。以下の例に示すように、動詞慣用句には単数形が固定性を持つものと、複数形が固定性を持つものとがある。

単数形(固定性)
tourner la page
sentir la rose
faire le mur
chasser le sanglier
connaître la chanson

複数形(固定性無し)
tourner les pages
sentir les roses
faire les murs
chasser les sangliers
connaître les chansons

単数形(固定性無し)
mettre la voile
raser le mur

複数形(固定性)
mettre les voiles
raser les murs

本発表では、この意味的固定性を言語学の問題として再検討し、これらの表現における単数形/複数形の使い分けが語源や文体によるものではなくむしろ言語学的な規則に基づくものであることを新たに主張したい。つまり、ここに見られる単数形/複数形の使い分けは、語源や文体に依拠すると考えられてきた固定性によって拘束されているのではない。そうではなく、むしろ、この単数形/複数形の区別こそが個々の動詞慣用句の慣用句らしさの度合いを決めているのである。そして、個々の動詞慣用句における単数形/複数形の機能的意味を再検討することを通じて、単複の概念を再定義する必要があることも明らかにすることにしたい。

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(2) 三浦 龍介 (青山学院大学大学院)「熟語plus ou moinsと程度副詞「多少」の否定的評価をめぐって」

熟語plus ou moinsは多義であり,Abé(2000)によると大別3つ(I「程度のばらつき」, II「否定的方向づけ」, III「緩和」)の意味があるとされ,意味IIにおけるplus ou moinsは,多くの場合,「あまり~ない」と訳出できるが,このいわゆる否定対極表現(「~ない」と必ず対になって用いられる表現「あまり,それほど,たいして~ない」)と評価レベルでおおむね等価とみなすことのできる程度副詞「多少」も同様に訳出可能である場合が多い.

(1) A : Pierre est-il intelligent? / B : Plus ou moins. (Abé 2000:76)
A :「ピエールは頭がいいの?」/ B :「あんまり/ 多少/ *少し」

Abéによれば 意味IIは,複数の視点からの「評価の対照」(話主間に評価の対立)を示し,被修飾要素に「望ましさ」が認められるという.そしてplus ou moinsの機能を,話主は「望ましい」という評価を認めない,あるいはその「望ましさ」の程度は低いとするとしている.結果,(1)では,話主の否定的評価(pas très intellignet)が示されている.
一方,「意義的にプラス評価ともマイナス評価とも言えないもの(「甘い」「辛い」など)が,「多少」と共起するときにはマイナス評価をくぐって来ると認められる場合が多い」「この酒は 多少 甘いようだ.」「この酒は 多少 辛いようだ.」(渡辺1988:291) と渡辺が指摘するように,話主の否定的評価を示す場合がある.
本発表では主に話主の否定的評価ならびに話主間の対立をマークする意味IIを出発点に,「多少」との操作の共通点を検討する.

Abé, H. (2000), La locution plus ou moins et la subjectivité, thèse de doctorat, Université du Tohoku.
渡辺実 (1988),「多少」『国語意味論』(2002) , pp.285-297,塙書房.

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