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日本フランス語学会 フランス語談話会

さまざまな視点からみた「視点」
日時:7月18日(土)15:00~18:00
会場:早稲田大学文学学術院(戸山キャンパス) 33号館低層棟6階第11会議室
http://flas.waseda.jp/flas/access/

パネリスト:
● 小熊 和郎 (西南学院大学) 「視点と主体のポジション配置」

● 本多 啓 (神戸市外国語大学) 「方法論としての視点: 話者の視点と分析者の視点」

● 西田谷 洋 (富山大学) 「語り手と視点-村上春樹「タイランド」から」

司会:須藤 佳子(日本大学)

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視点と主体のポジション配置

小熊 和郎(西南学院大学)

 発話文の中で文法・語彙単位がもつ意味と制約を通じて,主体(話者S,共話者S',行為主体Xなど)がどのような動的,複合的視点をもつかという事例を提示したい.確かに「言語には視点がはりついている」が,「誰」の「何」についての「どのような」視点なのかという3点セットで問題の一端を提示してみる.発表者の関心は,具体的なマーカーの示す複数の「視点」の間にある揺れや動態をどのような概念によって有効に捉えるかにある.
 基本的スキーマとして,「(ある主体のある対象についての)視点」が選択する値をpと置けば,排除される値p',選択が可能となる分岐点 (p, p') の三つのポジションが想定される.言語マーカーが取るポジションの基本構図から出発し,発話文解釈のバリエーションを総合的に検討することになる.大まかに言えば,SはS'の立場を意識する(同意する,距離をとる)あるいは中立的(無関心)という態度が可能であろう.たとえば p が実現される(あるいは文脈から推測される)が主体はp' を望ましいとする,現実には (p, p') だが pが志向される,選択したp をあらためて (p, p') から確認する,いきなり想定外の p が実現される,pを想定していたがp'になったなど,様々なポジション取りが考えられる.ポジションは異なる主体間でずれたり重なったりするばかりでなく,同一主体内での移動も排除されない.
 発表で取りあげたい現象は,(1)主体の「同化」と「異化」のプロセスが問題になる日本語の終助詞ネ,ヨ,ヨネ,(2) source / path oriented verbである行ク(aller, go)の「過程志向性」とgoal oriented verbの来ル(venir, come)の「結果志向性」,(3) 全く違う領域の問題である(1) (2) の間にある類似点などで,主体の動的ポジション配置が意味の安定性と多様性を支えているという仮説を示したい.(1) に関しては,終助詞の出現が義務か任意か,音調が上がるか平板か,単音か長音かなども複合的な解釈要因になる.(2) は直観的に看取される遠心 / 求心の動きをもとに,空間用法,時間用法,モダリティ用法の間にどのような架け橋が可能かという点が追求すべき問題となろう.

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方法論としての視点: 話者の視点と分析者の視点

本多啓(神戸市外国語大学)

 用語としての「視点」さまざまな意味で用いられるが、本発表では「誰が見るのか(視点人物)」ないし「どこ から見るのか(視座)」という意味で用いる。その上で認知意味論研究と視点の関係について検討する。
 意味の研究において、視点人物に相当するものとしてまず思い浮かぶのは「話し手」「聞き手」であろうが、それに加えて他ならぬ我々「分析者」自身も視点人物である。話し手・聞き手にとっての事態の見えと分析者にとっての事態の見えはしばしば異なるが、分析者自身も視点人物であるということを考慮しないと、話し手・聞き手の視点に分析者自身の視点を投影してしまうことになりかねない。逆に、分析者の視点と話し手・聞き手の視点を峻別し、分析者にとっての見えとは異なる話し手にとっての見えを記述することにより、意味記述の妥当性を高めることができる。
 以上の問題意識を踏まえた事例研究として、(1)「駅が近づく」のような静止物を主語とする「近づく」の用法、(2)We are approaching Christmas. / Christmas is approaching.のような時空間メタファーの経験的基盤の検討、(3)認知文法における「参照点」概念の視点論からの検討、などを提示する。
 また、時間が許せば、このような「方法論としての視点」の考え方の学史的背景についても触れたい。

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語り手と視点―村上春樹「タイランド」から

西田谷 洋(富山大学)

 物語論は構造言語学をモデルとして理論化されており、現代言語学が認知言語学等様々な展開をしているとすれば、物語論はヴァージョン・アップされねばならない。私が以前進めていた認知物語論は、認知言語学の術語体系で物語論を捉え返そうとした。物語表現は対象に対する把握のあり方が投影されていると考え、視点と語りを区別せず、誰が見ているものとして提示しているかという視点と語りを統合して分析することを主張した。
 日常会話・日常言語と物語・文学言語とは発話/語りの構造は異なるが、前者から後者への派生・複雑化が生じていると考えられる。人格化された語り手が存在しない物語もあるが、その語りは無色透明中立公正ではない。(語り手が)いかに語るのかという語りの運用的な切り口は、物語論の基盤が構造言語学から別の言語学へ転換することと対応する。
 私は、視点を語り手が統御するという立場を採用するため、動的な展開は語りの原点からの時制によって捉えられ、歴史的現在等の日本語によく見られる過去形・非過去形混淆状態はシナリオ的な図式化、見取り図的な全体像、あるいはスクリーンを見ながら語るために生じると考える。また視点は語り手にあるため、参照点移動によるスキャニング的な対象把握の運動が語り手の意識の志向性をふまえた表現の構築に反映しているとも考えた。自由間接話法も形態論的な有標性に注目せずに考えるならば、相互テクスト性の原理に基づけば、その言葉は様々な視点の現れとも解釈できる。そうした問題を中村三春氏の『フィクションの機構2』の村上春樹「タイランド」解釈に導かれながら考察してみたい。

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日本フランス語学会webサイト:http://www. sjlf.org/