お ぼ え が き

http://www.huffingtonpost.jp/mehdi-hasan/charlie-hebdo_b_6476358.html
からの引用:

イスラム教徒として言おう。「言論の自由」原理主義者の偽善にはもう、うんざりだ
投稿日: 2015年01月15日 18時24分 JST 更新: 2015年01月16日 12時00分 JST JE SUIS CHARLIE

リベラル論者のあなたへ

あなたも私もジョージ・W・ブッシュが嫌いだった。9.11の後、「我々の味方か、それともテロリストの味方か」という幼稚な宣言を覚えているだろうか? けれども今、新たな恐ろしいテロ攻撃を受けて、あなたはブッシュのスローガンを焼き直したようにみえる。言論の自由に賛成か、反対か。「シャルリー・エブド」でないなら、自由を憎悪する狂信者だと。

私があなたにこれを書いているのは、簡単なお願いをするためだ。そんなことはやめてほしい。テロリストに立ち向かっているつもりなのだろうが、実際には、あなたは分断と悪魔化という、テロリストの血塗られた術中にはまっている。啓蒙されたリベラルな西洋と、遅れた野蛮なイスラム教徒。1月7日にパリで起きた殺戮は、言論の自由への攻撃だと、あなたは繰り返し言う。保守派の元フランス大統領、ニコラ・サルコジもこれに賛同し、「文明に対する宣戦布告」と呼んだ。またリベラル左派の旗印、ジョン・スノーも、「文明の衝突」と品のないツイートをして、「ヨーロッパの言論の自由への信念」に言及した。

パリ事件後の悲しみの中、偽善と大言壮語が蔓延している。もちろん、あの攻撃は計り知れない悪のなせる業であり、無辜の人々を無慈悲に殺したことは決して許されない。しかし、あれは本当に(ITVのマーク・オースティンいわく)「言論の自由を暗殺する企て」や、(スティーブン・フライいわく)「思想の自由の神聖性を冒す」行為だったのだろうか? あの犯罪(戦争行為ではない)は、不満を抱えた若者が実行したものだ。そして彼らの過激化の原因は、2006年と2011年にヨーロッパで予言者の風刺画が描かれたことではなく、2004年のイラクでのアメリカ軍による拷問を知ったことだった。

どうか冷静に考えてほしい。無制限の言論の自由を信じる者など誰もいない。私たちはみな、法と秩序のために越えてはならない一線があり、分別と慎みのために越えるべきでない一線もあることに合意している。私たちの唯一の違いは、どこでその線引きをするかなのだ。

あなた方は、例えば、ホロコーストを嘲る漫画を出版したことがあるだろうか? ない? では9/11の犠牲者たちがツインタワーから落ちる風刺画はどうだろう? なかったと思う(そう思うし、なくてよかった)。あるいは、オックスフォード大学の哲学者ブライアン・クラッグによる「思考実験」を考えてみよう。彼はこう書いている:1月11日のパリでの「団結の行進」に、『私はシェリフ』と書いたバッジをつけた一人の男が参加したとしよう。シェリフは「シャルリー・エブド」襲撃犯の一人のファーストネームだ。彼はさらに、殺されたジャーナリストを嘲る風刺画を描いたプラカードを掲げていたとしよう。「群集はどんな反応をするだろう? この孤独な男を、言論の自由のために立ち上がったヒーローとみるだろうか? あるいは心から怒りを覚えるのだろうか?」。彼が「生きて出られれば幸運」だとするクラッグの結論に、異論はあるだろうか?

はっきりさせておこう。ジャーナリストや漫画家を撃ち殺すことに正当性は一切ない。それは私も同意する。だが、人の神経を逆撫でする権利に責任が伴わないという主張には、私は同意できない。神経を逆撫でする権利は、逆撫でする義務になるわけではないのだ。

あなたが「私はシャルリー」と言うのは、シャルリー・エブドが黒人であるフランス司法大臣のクリスチャーヌ・トビラを猿として描くことの是認なのか? それとも、エドワード・サイードが草葉の陰で嘆きそうな、団子鼻のアラブ人の下品な風刺画の是認か?

レイシズムを風刺で攻撃するために、恥知らずな差別的イメージを生み出すのは、風刺の手法としてはかなり危うい。それに、元「シャルリー・エブド」のジャーナリスト、オリヴィエ・シランが2013年に述べているように、9/11以降あの雑誌は「徐々にイスラム嫌悪のノイローゼに支配され」、それが「権力中枢に何の影響力もない少数派の宗教信者」への攻撃を促進した。

これが、私がシャルリーになれないし、なりたくもない理由だ。むしろ私たちは、アフメドでありたいと思うべきだ。雑誌の存在の権利を守って殺害された、あのイスラム教徒の警察官に。小説家テユ・コールが言うように、「不道徳な言論の権利を、その内容に賛同したり、それを支援することなく、守ることは可能」なのだ。

それに、なぜあなたは明白なダブルスタンダードに沈黙を保っているのだろう? 2008年、「シャルリー・エブド」がベテランのフランス人漫画家モーリス・シネを、反ユダヤ的とされる発言を理由に解雇したのはご存知だろうか? デンマークの新聞ユランズ・ポステンは、2005年に予言者の風刺画を掲載したが、キリストを嘲った風刺画は「非難を呼ぶ」として没にしたとされ、また「いかなる理由であれホロコーストの漫画は掲載しない」と堂々と宣言したことにはお気づきだろうか?

イスラム教徒は、どうもキリスト教徒やユダヤ教徒の同胞たちよりも鈍感でなければいけないらしい。背景も重要だ。あなたは私たちに、予言者の風刺画を笑うよう求めながら、ヨーロッパ中のイスラム教徒への中傷や(最近ドイツに行ったことは?)、教育・雇用・公共生活に蔓延するイスラム教徒差別(フランスは特にひどい)を無視している。あなたはイスラム教徒に、一握りの過激派を言論の自由への実在する脅威として非難するよう求めながら、選挙で選ばれた政治指導者たちが言論の自由に遥かに大きな脅威を与えていることからは目を背けている。

あなたは気にならないのだろうか? 

アメリカのバラク・オバマは、ドローン攻撃に反対するジャーナリストのアブドゥレラ・ハイデル・シャイエが不当な裁判でテロに関与したとされ有罪判決を受けたとき、彼を収監し続けるようイエメンに要求していながら、言論の自由の流行に便乗しているではないか。

イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフは、2014年にガザで7人のジャーナリストを殺した国の首相だ。彼がパリの「団結の行進」に参加したことに、あなたは吐き気を催さないのだろうか? 

ネタニヤフと共に参加したドイツのアンゲラ・メルケルは、ホロコーストを否定すると5年以下の懲役刑を受ける国の首相ではないか。

イギリスのデビッド・キャメロンは、「民主主義の転覆」に加担したとして暴力に訴えていない「過激派」のテレビ出演を禁止しようとしているではないか。

あなたには読者がいる。彼ら読者に何かコメントはないのか? 2011年に行われた世論調査会社「YouGov」の投票では、戦没者追悼のポピーに火をつけた抗議者たちを起訴することに、82%が賛成している。

どうやら、腹を立てるのはイスラム教徒だけではないようだ。

Charlie Hebdo 襲撃事件については、わたしも、もやもやとした、割りきれない感情をもっているひとりです。
「事件は「言論の自由」「表現の自由」にたいする挑戦であり、これに抗議しなければならない」いった言説は、もちろんそれ自体はあまりにも普遍的で、反論不可能なのですが、フランスにありがちな抽象志向がきわだっていて、「言論の自由」「表現の自由」だけに問題を還元していては、こぼれ落ちてしまうものがあまりにも多すぎる、という気がしています。

なにがこぼれ落ちるかというと、とりわけ、移民差別の問題です。
移民にとっては、フランス社会にたいする強いルサンティマンをいだくに足る状況があると思います。
失業率を比較したり、平均収入を比較したり、さらには、いわゆる3K職種の就業者に占める移民の率の高さをみれば、移民が差別されていることは明白なのですが、それでいてフランスにはあまりそれを主題化できない背景があります。
そもそもフランス共和国は、典型的な国民国家ではなく、元来フランス革命に賛同するひとたちの理念的集合体でした。
いまなお、憲法第1条からして、「一にして不可分の共和国」(une République indivisible)を標榜しています。これはつまり、人種や民族、地域性などによるサブグループを認めず、はじめから全国民を理念によって均質とみなし、すべての個人がサブグループを介さずに直接国家に属すると考えているのです。それが「平等」だという考えです。
したがって、たとえば「マグレブ移民」といったマイノリティーをとりたてて話題にすることは、すでに反憲法的であって、フランスではほとんどタブーといってもよいと思います。アメリカにみられるアファーマティヴ・アクションのようなことは、フランスでは望むべくもありません。
このようなところでは、たとえ差別が実質的に存在していても、はじめから差別者・被差別者のサブグループを認めていないわけですから、差別を語ることがたいへんむずかしくなります。
平等原理の一環のはずの「唯一不可分の共和国」が、かえって差別を糊塗してしまうという、皮肉な現象です。
現に差別をうけている移民にとっては、現状認識の前段階にさえ達しないフランスの思考様式にたいして、いらだちをおぼえるのではないかと想像します。

そしていま、「言論の自由」「表現の自由」といった、アッバスとネタニヤフを同時に動員できるほど普遍的で均質な概念ばかりが強調されるのを見ていると、「唯一不可分の共和国」の理念と同様、真の弱者を救う方向には行かないのではないか、という危惧をいだきます。

ところで、わたしのもやもやとした気もちを完璧に代弁してくれる記事をみつけました。ああ、すっきり。

「表現の自由」の美名に隠れた憎悪も糾弾せよ (Charlie is Heroic and Racist) :
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2015/01/post-3517.php

上記サイトからの一部引用:
 犠牲になった週刊紙シャルリ・エブドの編集者や風刺画家は、今や「表現の自由」という大義の殉職者と化した。殺害の脅迫にも屈せず風刺画を掲載してイスラム過激派を皮肉ってみせ、銃弾に倒れた。私たちが尊ぶ表現の自由という理想のために、勇敢なる死を遂げたとたたえられている。

 だが、そう単純な話でもない。預言者ムハンマドを題材にした彼らの風刺画は、無分別で人種差別的だったとも言えるだろう。

 だが、この問題を二者択一で論じるのは誤りだ。私たちは罰せられることなく、憎悪に満ちた発言やばかげた言葉を口にできる。だがその権利を行使するためには、自分がしていることが憎悪に満ちたりばかげていることを自覚しなければならないし、場合によっては擁護してもらえないこともあると認識しなければならない。

 リベラル派ブロガーのマシュー・イグレシアスが主張したように、シャルリ・エブドを擁護するのは必要ながらも「遺憾なこと」だ。彼らは反イスラム感情を巧妙に覆い隠し、「辺境に追いやられた少数派を苦しめる」。それに従い、怒れる過激派も増大することになる。

 明白な人種差別も権利の1つであると声高に主張するのであれば、私たちは同時に明白な人種差別を声高に非難するべきだ。「先鋭的」風刺画が単にくだらないイスラム攻撃である場合は、そう指摘しなければならない。

 サルマン・ラシュディの小説『悪魔の詩』は欧米で高く評価され、イスラム世界では猛反発を呼んだ問題作だが、すべてのムハンマド風刺が同列であるかのように扱われるのは間違いだ。

 フランス全土が悲しみに沈む今、こうした問題を論じることは難しいが、必要なことでもある。現時点でグーグルはシャルリ・エブドに30万ドル近い寄付を申し出ており、英ガーディアン・メディアグループも15万ドルを寄付、フランス政府は100万ユーロ超の支援を約束している。

 表現の自由を支持する力強い動きだ。だが同紙の「表現」は、政府が支援すべきたぐいのものとは思えない。

 すべての風刺画がそうだったとは思わない。スンニ派テロ組織ISIS(自称イスラム国、別名ISIL)戦闘員がムハンマドの首を切り落とそうとしている絵は、過激派がいかにイスラムの信仰から乖離しているかという矛盾を鋭く突いていた。
それでも大方の風刺画はムハンマドをかぎ鼻の悪党として描いていた。ムハンマドの絵を描くこと自体を冒涜と考えるイスラム教徒の怒りをあおることだけが目的のようにも見えた。

 ただでさえフランスのイスラム教徒たちは貧困と差別に苦しんでいる。この国ではナショナリズムの高まりとともに、世俗主義や言論の自由といったリベラルな価値観を隠れみのにした外国人排斥がまかり通っている。

 シャルリ・エブドは、誰をも平等に風刺の対象としていると主張するかもしれない。だが「白人至上主義」との批判があるのもうなずける。あるオンライン雑誌の投稿にあったように、「白人男性による攻撃は優れた風刺にはなりにくい」。

 シャルリ・エブドの作品は勇敢であると同時に下劣でもあったが、この現実は受け入れ難いようだ。テロ事件後に巻き起こった議論は大抵、欧米人がイスラム教徒の感情を害することは許されるか許されないか、という二者択一だった。ムハンマドを描くことは言論の自由の下に擁護されるべきなのか、一切慎むべきなのか。

 ニューヨーク誌のジョナサン・チェートに言わせると、答えは明白だ。「宗教を冒涜する権利は自由社会の最も基本的な権利の1つだ」と、彼は書いた。

ただし、上記記事にひとつだけ留保をつけるならば、「イスラーム教では偶像をえがくことは禁止されている」というのは完全にウソです。
スンニー派では確かに禁止ですが、シーア派(イランなど)では、預言者ムハンマドをえがくことはきわめてありふれています。
科研費研究会のお知らせ

科学研究費助成基金 基盤研究(C) 課題番号24520530「日英語ならびに西欧諸語における時制・モダリティ・アスペクトの包括的研究」(研究代表者:和田尚明)
および科学研究費助成基金 基盤研究(C) 課題番号25370422「フランス語および日本語におけるモダリティの発展的研究」(研究代表者:渡邊淳也)
合同2014年度第5回研究会のお知らせ

発表者:五十嵐啓太
題目:「名詞化接辞「の」とmirativity」
日時:2015年1月13日(火)15時30分から

準備の都合上、参加希望のかたは渡邊までご一報ください。
「パロールの言語学」第3回研究会のお知らせ

日本フランス語学会研究促進プログラム「パロールの言語学」では、12月の第1回研究会、3月8日の第2回研究会につづいて、第3回研究会を福岡にて、公開(参加自由・入場無料)で実施することとなりましたので、お知らせいたします。ご都合のつく方はご参会いただければ幸いです。

日本フランス語学会研究促進プログラム「パロールの言語学」第3回研究会

日時:3月10日(火)13時から
場所:福岡大学中央図書館大学院6階「講義室8」
地下鉄七隈線「福大前駅」下車 : 中央図書館の裏手の入り口よりエレベーターをお使いください
http://www.lib.fukuoka-u.ac.jp/access/map/index.php

司会 : 川島浩一郎 (福岡大学)、山本大地 (福岡大学)

プログラム内容 (発表者名の五十音順に) :

川島浩一郎 (福岡大学)
「メトニミ、メタファと区別の解消」

杉山香織 (西南学院大学)
「CEFR準拠の教科書におけるn-gramsの特徴とCEFR-Jの記述文の対応 」(仮題)

日野真樹子 (西南学院大学非常勤;プログラムのメンバーではありませんが、今回は発表者として参加くださることになりました)
「談話マーカーのlàについて」(仮題)

山本大地 (福岡大学)
「情意形容詞の情意をめぐって」


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日本フランス語学会研究促進プログラム「パロールの言語学」世話人:
大久保朝憲(関西大学)・川島浩一郎(福岡大学)・酒井智宏(早稲田大学)・渡邊淳也(筑波大学)
「パロールの言語学」第2回研究会のお知らせ

日本フランス語学会では、6月に行ないました学会内公募にもとづき、研究促進プログラム「パロールの言語学」をたちあげ、7月末より参加者間での討議、研究会の計画などを進めてまいりました。趣意、参加者はつぎのページに掲出されております。

募集時案内(趣意など):
http://www.sjlf.org/?p=1392
課題採択後の広報(参加者、研究課題):
http://www.sjlf.org/?p=1484

12月に開催いたしました第1回研究会につづき、第2回研究会を公開(参加自由・入場無料)で実施することとなりましたので、お知らせいたします。関心のおありの方は、どなたでもご参会いただければ幸いです。

日本フランス語学会研究促進プログラム「パロールの言語学」第2回研究会

日時:3月8日(日)14時から17時15分
場所:慶應義塾大学・三田キャンパス・研究室棟1階A会議室
三田キャンパスまでの経路、および構内の地図(研究室棟は地図の【10】):
http://www.keio.ac.jp/ja/access/mita.html

プログラム:
14hー15h
大塚陽子(白百合女子大学)
「フランス語初級テキストにおける応答に関するポライトネス・ストラテジー」
15hー16h
江川記世子(大阪大学非常勤講師)
「単純過去による書き手の事態記述と読み手の解釈」
休憩
16h15ー17h15
秋廣尚恵(東京外国語大学)
「会話コーパスにおける『理由』を表す従属節 car,comme,parce que,puisque」

第1回研究会にご参会くださり、討議に参加くださいましたみなさまに厚くお礼申し上げます。第1回研究会のとき、「もっと早く知らせてくれれば参加した」というご意見をいただきましたので、第2回については、はじめの通知を早めに配信させていただきました。当日が近づきましたら、より詳細なお知らせを配信いたします。

どうぞよろしくお願いいたします。

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日本フランス語学会研究促進プログラム「パロールの言語学」世話人:
大久保朝憲(関西大学)・川島浩一郎(福岡大学)・酒井智宏(早稲田大学)・渡邊淳也(筑波大学)
屋内扉 ちょうつがいの調整
http://tostem.lixil.co.jp/support/troubleshooting/material/interior/case01-01.htm
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